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​日月神示を今に活かす

7月16日号 通巻8号 日月神示を今に活かす 第1回「時を超え魂に沁みとおってくる親心」

◇日月神示とわたしとの出会い

 今号から日月神示(ひつくしんじ)を取り上げようと思います。ご存知の方も多いかと思います。岡本天明氏に神示が降ったのは、日本が米英を相手に戦った戦争で敗色濃い昭和19年6月10日のことでした。(天之日津久神社・千葉県)それよりも遥か以前の二十二歳の頃から、岡本天明という人は、杉庵志道(すぎのいおしどう-「すぎのいお」は号。山口志道が通りのいい名です。明和四年~天保十三年(1765~1842)に生きた神代学・言霊学者)の主著『水穂伝(みづほのつたへ)』(変体仮名という漢字をくずした平仮名で書かれていた)を努力して読み解き、『口語訳 水穂伝』の原稿を完成させました。それが昭和17年のことです。日月神示(ひつくしんじ)に先立つこと2年前ということになります。

 有名な冒頭「富士は晴れたり、日本晴れ、神の国のまことの神の力をあらはす代(よ)となれる」で始まる神示では、「神(かみ)」を文字で表さず、〇の中心に黒い小さな丸ないしは点をちょうどダルマの目のように画いてあり、ここにわたしは三十代初めの頃から愛読してきた山口志道の『水穂伝』でよく用いられる「布斗麻邇(ふとまに)」のいくつかの図のうちの代表的な図(マルチョンと呼ばれます)と同一のものを見ます。それは「水火(いき)」ないし「火水(かみ)」を表します。(下略)

◇メッセージをつうじて伝わってくる親心

 日本の歴史が始まって以来、国体が失われてしまうかもしれないと危ぶまれたほどの未曽有の危難に際して一人の人間を使って自動書記により記録させた神示を、戦後の日本国民は受け取ることになったのです。
 ここに皆さんは神様の心が感じられますか。感じられるとしたら、どのような心でしょうか?
 わたしは「親心」しか感じられません。それというのも、母が亡くなって一年後くらいから、それまではあまりなかったことですが、向う(霊界)からわざわざ降りてきてくれて、わたしのためにメッセージをくれ、しばしば対話する機会にめぐまれる体験をとおして、親心というものがどんなものであるのかを、むしろ生前以上にはっきりと身に染みて感じられるようになってきたからなのです。

 日月神示の神様の場合は、もちろん親子というわけではありませんが、ヤマト民族の祖先の子孫にたいする「親心」ではないかと思います。神はわたしたちの生命の親ですので、神から心が離れてしまっては、もう滅亡するしかありません。こんな愚かなことはないですね。これは自然の摂理に反することでもあり、生命法則に背くことでもあります。
 ちなみに、志道は〇の中心の凝りを「天親」とも呼んでいました。(天地人それぞれに同一の中心があり、天親、地親、人親と呼びます)この「親」(神道)は「心」(仏教)となったり、「信」(儒教)となるなど、皇国(日本)、天竺、漢国とそれぞれに異なりますが、結局は本質的には同一であるというのが、志道の考えでありました。【全部読む】

 

富士山の日の出

​暦と水火(いき)の話

 

暦と水火(いき)の話「立秋」vol.12

 

  8月に入り、早くも11日となりました。お盆も間近ですね。今年の「立秋」は7日でした。先日の夕方、外に出ると涼やかな風が肌に心地よく、秋の気配を感じました。西の空を見上げてみると、雲のまわりが金色に縁取りをしたように光っています。傾いた西日があの雲の彼方に隠れていたのでしょうか。

 さて、前回は葉月にフォーカスをあてつつ、水と火の配合がどのように変わってゆくのかについて書きました。

 葉月は一日の時刻でいえば、七つ時、午後3時から5時くらいにあたるということでしたが、水火(いき)のめぐりでいえば、8月も中盤に入るので、もうだいぶ水の氣が増してきているのでしょう。植物に、風に、日差しに、それを感じることはないでしょうか。それもそのはずで、二十四節気の立秋を過ぎたということは、暦の上ではもう秋に入ったということなんですね。・・・・・・

蝉の羽化写真

​シュタイナーに学ぶ

7月21日号 通巻9号 シュタイナーに学ぶ 第1回「死後の世界と月領域の学び」

 ところで、睡眠生活の中でわたしたちは、1日の終りから始まりまでを遡行して再体験し、自ら為した行為を振り返りながら、シュタイナーの表現を用いれば、「道徳的判断(評価)」をしています。これについては、前々号(第1巻7号 7月6日発行)に書きました。誰が裁かなくても、自分のしたことや抱いた考えや感情は善かったのか悪かったのかと自分みずからが自分のことを裁いているというのです。亡くなるときに3日間かけて昼間の生活で為してきたことを振り返ります。ところがそれで終わりではなく、今度は全人生で睡眠中逆向きに体験したことが全部足し合わされたものが短い時間で再体験されます。自分を道徳的に見た場合どんな人間かを評価し、それにともない味わった感情など、生きているあいだにまったく見ることのなかった睡眠中の体験をします。寝ているあいだは、ベッドに物質体(肉体)とエーテル体だけ残して、自我とアストラル体は身体から離れると7号でお伝えしましたが、死の門をくぐる際は、まず先に物質体が崩壊し、そしてエーテル体が崩壊します。そのときに記録媒体としてのエーテル体に記録されていた思考からなる一生が消えてゆくとともに、思考全体が宇宙のなかへと分散し、溶解します。
 ここで重要なことをお伝えしなくてはなりません。というのは、亡くなると、死後3日のあいだに思考が飛び去り、これまでの日々の生活のすべてが飛び去る一方で、死者は、【全部読む】


7月26日号 通巻10号 シュタイナーに学ぶ 第2回「死後の世界と月領域の学び」 続編

◇霊界の母から教えられたこと
 これがもし親子や恋人あるいは夫婦なら、相手にたいしてしたことがどんなことだったのか、「見させられる」ことになるのでしょう。しかも、こちらの地上世界では自分の過ちに気づいたらすぐに変えられる(悔い改めなど)のに、あちらの世界ではそれができないということですから、そこは辛いだろうと思います。
 精神科学を学ぶとき、しばしば1年8ヵ月以上前にあの世に移行した母のことを考えます。すると、それがたいへんに助けになります。今もときどき来てくれ、妻の口を借りて色々なことを教えてくれたり、忠告してくれたりしている母ですが、そうしたコンタクトをつうじ、生と死、生まれ変わりの意味や死後の世界の仕組みというか、向こうの世界で何をするのか、ということをそれとなく教えられています。
 あるとき母は、こちらに来ると、想像もおよばなかったほど様々な厳しい人生を送ってきている人がいるとわかって、自分が世間知らずでのんきだったことを自覚させられたというようなことを話してくれました。それだけではなく、おまえもそこはわたしと同じだからということで、自分がどんなことに疎いのかといったことにたいする自覚をもつように教えられました。
 また、母は幼い頃のわたしにたいし、自分が気がつかなかったところをあちらで反省し、息子の人生に責任を感じ、失敗したり、苦労したりしないように注意してくれます。だいぶ修行させられたようです。「こっちに来てはじめてわかることがあるのよ」と、交信のはじまった初期の頃は言っていたものですが、おそらく肉体を脱いで心魂が時空を超えて自由になっているぶん、精神の自由を得ていて、上にシュタイナーの言葉として引用した「別の心魂が自分と同じ空間内にいるあいだ、互いに親しく感じ、一緒にいると感じ、互いを体験します」の部分についても、母は経験したのだと思います。【全部読む】

銀河

占星学に学ぶ

7月26日号 通巻10号 占星学に学ぶ 第2回「月支配からの自由」

◇月の衝動の特徴とは
 前回から始まった惑星衝動の話ですが、前回が太陽から来る影響の話だったのにたいし、今回は月になります。これまでの社会って、一言でいえば、大して実力も中身もない人物が、一見、すごそうに見せかけるハッタリや虚飾や見せかけによって、得をして、実際にもその場しのぎの要領のよさや社内遊泳のうまさや姑息な悪知恵がきいたりするといった現象が至る所で見られなかったですかねぇ。(それでいうと、有名企業にもあてはまりそう)
 「おぬしなかなかやるにゃ~、策士だにゃ~、こんにゃろ、こんにゃろ、みてろよワンワン」みたいに心の中では誰もが犬の遠吠えみたく吠えながらも、「どっか憎めないワン」みたいな悔し涙で眼前の風景が曇ってたりと。ずるいあいつは、人よりも給料をたくさん取って、まわりから恐れられ、本人もそれを承知で威張ってたり、というしかたで幅を利かす輩がいませんでしたか? (中略)しかし、しかし、マドモアゼル愛先生にいわせると、まさにこれこそが<月支配の社会>だったのですよね~。集合無意識というか、集団的な幻想にもとづいて、ダマされ、ダマし、アザムかれ、アザムいてるにすぎないわけで……。

◇月支配からの脱却のために
 マドモアゼル愛先生によりますと、月の特徴は(太陽の光を)反射、(惑星の波動を)吸収、そして放射です。そして、精神性の太陽とは対照的に、月は物質性と肉体性(肝臓、肺、脚など、カラダを表す漢字は月篇か、胃や腎臓のように月が一部に用いられています)をつかさどるというのがもう一つの特徴です。
 ここからいえるのは、月は地球上のわたしたちの眼には大きさが太陽よりもずっと小さいにもかかわらず同等に見えるように、自分を大きく見せつつ、「あたかも精神性と物質性・肉体性が同等である、いやそれどころか、太陽よりも優位であるかのようにさえ見せかけるのに成功している」惑星であることから、魔術的な力をもつ魔術師(それも黒魔術)であるということです。
 たとえば、世のほとんどの親は、「我が子がいい大学に入って、いい会社に入って、いい結婚をして、お金持ちになってもらいたい」と願い、「それが我が子の幸せにつながるのだ」と信じて疑いません。しかし、そうした期待を子にする親というのは、完全に黒魔術にかかっている、と愛先生はいいます。なぜならば、【全部読む】

銀河の写真

​ことたま豆知識

 

ことたま豆知識 vol.10「天原、青海原」

 

 あまはらのアは「天」です。アの言霊には、ほかに「海」があり、「吾」もありますが、ア行は「空中水霊(くうちゅうのみずのたま)」で、イメージとしては、形無く、空をめぐる水の霊です。

 アは五十音の総名でもあり、この一音に五十音が含まれます。

 さて、あまはらは、天であり、海でもあるアにつづき、マの言霊(マ行は火中の水の霊)は、向かう、向かい合うという法則(語義)をもち、ここでは空と海とがお互いに向き合うという感じでしょうか。しかも、空は伏し、海は仰向けに。これを「向伏(むかふす)」といいます。はらのハは、広がることで、「天と海と向伏(むかぶし)て広大なさまを、アマノハラというのである」ということです。・・・・・・

 

 

 

空と海の写真

​ダスカロスに学ぶ

7月31日号 通巻11号 ダスカロスに学ぶ 第2回「エーテルの手を開発する」

 前回は光のボールをつくって送るのに実際の手を使いました。今回はエーテルの腕と手を使うことを学びます。
 肉体の手とちがって、自由度が当然ながら高くなりますね。寝床に体を横たえていても、スペースのない電車の座席でも、自分の意志しだいで時も場所も選ばずヒーリングを行なえます。
 わたしたちの肉体は、エーテル・ダブルによってつくられ、維持されています。そちらが本体とすると、「目に見える肉体のほうは、いわばこのエーテル・ダブルの完全な複製です」といったら、驚かれるでしょうか。
「あなたが体を動かすと、必ずエーテル・ダブルもまったく同じように動いています。エーテル・ダブルは肉体がなくなるその瞬間まで、肉体から分離することがありません」と、ダスカロスは説いています。
 そして、以下に紹介するエクササイズを継続的に行なうことにより、肉体から離してエーテルの手足を自由に使えるようになると述べています。エーテルの手足は重い肉体のような制約がほとんどなく、物体の中に入ったり、通り抜けたりすることも可能で、これを発達させることは、ヒーリングに欠かせない道具を開発する意味でも極めて重要なことである、とダスカロスは述べています。【全部読む】

光のボールと大天使写真
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